2007年06月05日

御山から見た赤沢集落

赤沢集落-03-0のコピー.jpg
空撮写真かと見間違えるほど平坦な景色の赤沢集落ですが、これ下り斜面の集落を手前側から斜めに見下ろした写真です。春木川対岸にそびえる七面山中腹は表参道36丁目「晴雲坊」(標高1350m)辺りで撮ったような?・・・・もう一寸上の40丁目辺りだったか・・・・・H8年9月「御会式」の時だから11年前になりますか。以来一度も七面山にお参りしてないんですねえ。
七面山というのはたいへん霊力の強い御山だと言われていまして、ご利益を期待してとか、ヨコシマな心持ちの人間が登ると40丁目辺りで動けなくなってしまうんだそうです。そこへいくと、品行方正澄んだ清らかな心根のワタシなんざ、御山の方からおいでおいでしてるが判るんでございますよ。しかしあいにくギックリ腰がねえ、いやまったく残念でなりませぬ。
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2007年06月04日

檻に入れられた犯罪者たち?

DSCN2077振動台.JPG
「不法侵入で検挙され檻に入れられた犯罪者たち」という構図ですが、コレ実際起きた地震動を三次元で再現するという優れもの振動台なのです。
先月の5/26に体験してきました。
この日は、直近に起きた大地震「1995年兵庫県南部地震、2004年新潟中越地震、2007年能登半島地震」という異なった三タイプの地震を振動台に乗り体験しました。
新潟中越地震における東西方向の最大変位29cmというのは、体感では左右に1mぐらいゆすぶられたように感じ、振動台の再現性能を超えており、この時の地震加速度898gal(cm/sec2)はというと・・・・・・

Scan1.JPG
両手で鉄柵をしっかり握って、床にへたり込んで、さあ来るぞっ!
と待ち構えていたところへいきなりものすごい衝撃が襲い掛かかってきたので、それに吹っ飛ばされまいと必死に柵を握っていただけでした。
これが日常の生活にいきなり起きたら・・・・・
逃げるどころか手近に支えがあったとしても、なすすべが無いなぁというのが実感です。
“背後からいきなり突き飛ばされた”といったような感覚じゃなく、被災した方々の誰かが発した“地球が壊れる”という言葉の感覚を少しだけ実感できた気がします。
わずか10秒余の地震の衝撃だけど、人間の体と心をクラッシュさせるに充分です。

大勢の人が体験できればいいと思うのですが、本来がかつての住宅公団、今UR都市機構・都市住宅技術研究所の実験装置であり、年に2日間だけ一般公開する目玉イベントだったのです。
掲載の地震資料は同研究所作成配布したものです。
posted by ヒコベエ at 17:33| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月06日

修景の前後

si?5.10.jpg

s95.4.18k.jpg桜の花の次は桃の季節ですね。
中央道から見る一ノ宮のピンクの花絨毯は日本一の桃に産地にふさわしい景色です。ならば、赤沢の桃花は「利休が秀吉のために草庵に活けた一輪の朝顔」に匹敵するやも知れません・・・・・・・・・・・・・一寸無理があり過ぎか。

今年の赤沢の桜は大半がつぼみのうちに食べられてしまい、開花時は情けない有様でした。誰が食べたかって?  ウソだそうです。いやホントに、ウソのような・・・・・・・・・ではなくホントの話。
昨秋は山の成り物が少なかったようで、猪や鹿やら猿が集落内を荒らす様子は、まるで「七人の侍」に出てくる野盗の群れです。
赤沢にも侍が3人居るんですがね、皆仕事で忙しい人ばかりでいわゆる日曜侍なわけです。獣連中も学習してて、日曜は休日にすべえってどっかへ出かけちゃうんですねぇ。

何の話だったっけ・・・・・そうそう桜のつぼみを食べたヤツね、ヤロメの詳しいことは知んねけど「ウソ」っていう野鳥なんだそうです。近在の三里地区にある「野鳥公園」では猿がつぼみを食べてる姿が目撃されてるようなので、獣ばかりか野鳥の餌になる実も極端に少なかったためらしいのです。

追伸:
誰が名付けたか?赤沢宿の銀座通り(言わないって)、石畳の坂道をつづれ折に下りていくと黒松の濃い緑と鮮やかな桃の花に出会えます。
posted by ヒコベエ at 02:24| Comment(4) | TrackBack(0) | 町並みと建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月03日

こんな景勝地があったとは

DSCN1996lA.JPG
初めて訪れた湖の景色に感動して、湖畔のベンチにて一句
「正座して 緑のたぬきが出来る間に あっ足がシビレンコ」

という訳で此処は「四尾連湖(シビレコ)」。
市街から坂道を延々と登りに登って標高870m、行き止まりの林間に有料駐車場が待ってました。400円払ってそこから徒歩1分、ドーンと視界が開いて出現したのは、まるで箱庭のように一望できる小さくまあるい湖と周囲の山々です。  カルデラ湖かな?。
湖畔に2軒の山荘があり、湖畔を一周するするのに20分足らず。水清く周囲の自然環境の保全に相当力を入れているようです。

DSCN1994qLKGq.JPG遊歩道の岸辺で異様なもの発見。
孵化して間もない幾千匹ものオタマジャクシの群でした。山荘の主人に聞いたところヒキガエルの子だそうです。

此処の自然環境を保存するには、知る人ぞ知る景勝地ということで積極的に広報しない方が良いかもしれんなー。

「と言いつつ勝手にブログに載っけてるじゃねーか」って鋭い突っ込みが・・・・・・
マーマーそこはそれ超マイナーブログを自認するのもナンなんですが、世間への影響は少ないと思いますんでご勘弁を。

それでもあえて言っときますが、仮にもですよ当ブログを見て「四尾連湖へ行ってみよう」なんて悪気を起こしちゃいけません、シビレますから。
posted by ヒコベエ at 01:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 近郷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月25日

古民家の間取り

赤沢の民家(伝統的な住まい).jpg

と・り・あ・え・ず・大正時代頃の一般民家の様子を復元したスケッチです。
(注:医者が患者に「とりあえず血液検査をしましょう」とりあえず検査とは何事か?そんな曖昧な言葉がやたら横行してるのは由々しきことである。と、ラジオで誰かがゆってました。けど、まっとりあえず)

今回も 例によって・・・・・・・・・・・・・つづく
posted by ヒコベエ at 01:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 町並みと建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月24日

民家の古い図面から

みなさまの信頼を取り戻すべく、昨日に続いて記事を立ち上げました。エライもんでありますね。
 さて本日のお題は、明治初年の古民家を取り上げます。
間取り図-1.JPG

この当時赤沢には9軒の旅籠がありましたが、その内の1軒望月十郎兵衛宅をご紹介し・・・・え〜と、文字がわかりにくいので現代語に翻訳した下図をご覧ください。
間取り図-2.jpg

建物の左側(北→西)に往還(七面参道)が通っています。
一般の民家の間取りと大きな違いが無いことが赤沢の旅籠の特徴とも言えますね。旅籠らしい点は接客用に道路に面する座敷回りにL型の縁が付いている事、客は縁に腰を掛けてワラジを脱ぎ足をすすいでから座敷に上がるという寸法です。

北隅に「せついん」とあるのは雪隠=便所のことで内便所は客専用であり、家人は南側の外便所しか使いません。同様に南側の「ゆどの」も客用の湯殿です。湯殿は湯に浸かる設備ではなく、手桶の湯水で体を拭う程度なので板壁にスノコ板床の狭い室でした。

客間は3室だけで、「へ屋」とあるのは布団部屋かと思われますが大勢の来客時には客室になります。
家の玄関は湯殿の右手に六尺の大戸(引戸)入り口があり、
「ろじ」=路地土間の奥に続く「居間」は板敷きです。普通には「イドコ(居所の転化?)」と言い、中央に囲炉裏(ヒジロ)が切ってあり日常の家族室というかLDK+応接+寝室でもあるのです。イドコの奥の「ものおき」とあるのは、今で言うところの物置=納戸ではなく納戸=主人寝室であったと思われます。

「仏壇と神棚」は玄関から見て正面の居間奥「ものおき」との壁境に置かれ、外部から入ってくる諸々の役災から家人を守護する位置にある。(来客だってコレラなんかの役災を持ち込むしね、神明に頼るしかない当時はたいへんだった、いやホントに。)

あああああ もうこんな時間だ 寝なきゃ

4/25お晩です。つづきです。
「蔵」は土蔵ですね、規模は壱丈五尺×壱丈=15尺×10尺、4.545m×3.030m=13.77u=4.17坪。
現在赤沢区内に現存する土蔵が4棟ありますが、当蔵はすでに有りません。当蔵のように主屋建物に付属した小規模土蔵は、早川町内各集落にはたくさん残っています。
これらを参考に構造を類推すると、置き屋根・平入り(入口が棟と平行の壁側に付く)形式、内部は二層で柱間は2.5尺OR5.0尺間、と推定できます。
 平場の農村地帯に見かける土蔵は二間×三間というように6尺を基本に柱間3尺で構成した土蔵が多いように思うのですが、これらは明治期に養蚕などで潤った時代に、無尽講を利用した規格サイズの土蔵が短期間に大量に建てられたためではないだろうか、とひそかに想像しているのですが、どうでしょうね?

 また、当土蔵のように5尺を基本寸法とした蔵も少なくありません。赤沢の最も古いと思われる1棟がそれです。
 赤沢の主屋建物は側柱(ガワバシラ:上屋周りを支える柱)を6尺間に配した古式を残しています。これに対して付属屋の物置や蔵には5尺間を付与するという建築上の慣行が江戸時代の○△頃にあったのでは中廊下と。
赤沢だけでなく各地に散見できるので、想像の域を出ませんがずーっと気になっている事のひとつです。
 どなたかご意見を聞かせてください。

蔵の戸前の「土間」は主屋の切妻壁際に下屋仕立て(オダレ)のオカッテ(厨房)の場所ですね。文字修正「なか志」と読めますから「流し場」がある所です。

posted by ヒコベエ at 02:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 町並みと建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月23日

葉っぱが美味しい季節となりました

 いやあ すっかりご無沙汰しちゃって どもどもすいません。
ほぼ1ヶ月ぶりの記事なのに、「またぁ食い物?他に無いのか?」と文句言われそうなので機先を制して言っときますが、        キッパリと 『ありません!』

爽やかな新緑や可憐な山谷草花も眼福で、確かに目のご馳走に違いないですが腹は膨れませんからねぇ。

「金は無くとも腹一杯」これが世界平和の根本ですから、
此処ではさらに高度な「歩く見る食べる」心身一体の眼福・腹福・八分目。
これが赤沢的リアリズムだぁ・・・・・・・・ということで、葉っぱが んまいんです、食べましょう。
RVAu.JPG

IIo.JPG早川町の方言では「バラッパ」4/6時点のオオバラの新芽ですが、今しばらくして葉が開いたら天ぷらに揚げると、モチモチとした食感がgoodです。ところが「○△□の葉っぱ」はもっと美味しい・・・・・・・・けど他所モンにはおせーないでおこうかな。

特報
5/3は早川町名物の大イベント「山菜祭り」があります。
この日ばかりは会場周辺の県道が大渋滞となりますので早めにご来場下さい。
問合せ先:早川町役場振興課 0556-45-2511
参考:http://www.town.hayakawa.yamanashi.jp/EVENT/event.html
   http://www.town.hayakawa.yamanashi.jp/
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2007年03月27日

これがウワサのチャリンポリン

これがウワサのチャリンポリン、生姜入ってます。
charinporin1755.JPG

今、身延山久遠寺のしだれ桜が見頃だそうですが、見ずに帰ってきてしまい惜しいことしました。
赤沢妙福寺のしだれ桜はこれからですが、薄墨桜のような上品で淡い色合いがgoodです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
というか、やっぱり食べ物でしょこの季節は。
yamanosati.JPG
posted by ヒコベエ at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 食べ物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月20日

続続続。便所がおもしろい

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 赤沢民家の外便所は「二戸一宇」と言って、一つ屋根の下に2口の個室という形が一般的です。
戸は踏み込み入口に一枚の板扉が付くだけで、内部は天井も無く小屋裏吹き抜けの一室空間です。
踏み込み部分や外板壁は鍬や鎌など畑作用の農具掛けに使われていて物置を兼ねていました。
傾斜地を等高線沿いに拓いた細長い屋敷では、庭先に物置を建てるスペースが無いための工夫だったと思います。

 なぜ2口の便所なのかについては謎です。
安直に言うと、1口では建物としてのバランス・剛性に欠けるから・・・・・か??。
江戸の長屋の便所を「惣後架(そうこうか)」と言いますが、これに似た造りと考えられますので、あるいは江戸の信者講中が伝えたのかしら?・・・・・・・・
長屋住まいの八つぁん熊さん等職人層が多かったし。

戸口脇の壁際に小便所が設けてあり、大便と小便は便槽(便壺)で一緒になります。
これに台所流し下の(タメンジリ)に溜め置いた排水を混ぜて柔らかくした便液を肥桶に汲み取り畑に運ぶわけです。
この下肥は雑草や枯葉の堆肥に混ぜて発酵させたのが元肥となり、畑土に鋤き込んで使います。

しかしここで疑問が。
江戸時代とまで遡らなくとも昭和30年代頃までの古民家(特に畑作主業の地帯)には、主屋入口脇の軒下に桶を埋けた小便所があったのを知る人は多いのではないでしょうか。このように小便を分別した大きな理由は、即効性の液肥(尿素肥料)として蔬菜類や麦の追肥に使うためでした。
近代にはいると硫安(窒素肥料)に変わりましたが、今は栽培が禁止されている麻は生長が速い植物なので尿素の追肥が欠かせなかったのだそうです。

ところがです、江戸後期の民家を多く残す赤沢集落にあって、大小便を分別利用していた資料あるいは建築の痕跡が出てきません。これが便所にまつわるもう一つの謎です。

ところで、赤沢集落を取り囲む山々の全てが山林に覆われている現在からは想像し難いのですが、終戦直後米軍が撮った空撮写真を見ると、当時はほとんどの面積が焼畑や山畑(切替畑)だったことがわかります。主たる畑とは幾時間もかけて通う急峻な山畑であった、そこに下肥を担ぎ上げたとは考え難いです。
集落近辺にあるほんのわずかな常畑ならば、大小便を分別してまで手間をかける必然性が無かったのかもしれない。
というのが今考えた理由なんですが、
ここまで我慢強く読んでくださったみなさんには、ご意見を400字以内にまとめてコメント提出することを求めます(2単位)。
posted by ヒコベエ at 00:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 便 所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月16日

そば屋のメニュー表(春号)出来ました

カタログ表紙-1のコピー3.JPG

カタログ-2の-3.JPG   山の幸.JPG 

赤沢そば屋の回し者からのお知らせです。
そんなに品揃えがある訳じゃ無いんですけどね、メニュー表を作りました。なにしろ春爛漫ですから、昔から言うでしょ「目に青葉山ホトトギス武蔵屋の蕎麦」って。
 あとね、自慢じゃないでが、「季節の小鉢いろいろ」という隠れた逸品があるんです。小鉢の値段が付いてたのかな〜?、その時々で何が出てくるか判らないんですがね、んまいんです。




posted by ヒコベエ at 11:38| Comment(1) | TrackBack(0) | 美味しいそば処「武蔵屋」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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