2007年12月30日

柿の実が赤く色付くころ

赤沢紅葉 019コピー.JPG

柿の実が赤く色付くころ 友が逝く
時は流れ 日が去り 
彼は千の風となりしや いずこへ吹かん
想いは牧水歌碑に宿り 七面山のふところに眠る
月が去り 年が行く
萬年橋の下を春木河が流れる
記憶はわれ等が胸に 留まる
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2007年11月08日

11/11(日)は“早川町へ行こう!”

そば1762.JPG

いやあ月日が経つのは早いもんですね。もたもたしている間に11月に突入してしまいました。11月といえば「新そばの季節」。
そうだ!!次の日曜日は「大早川町の大そば祭り」ではないか!!!

これを食わずして日本人とは片腹痛い。皆の衆、何はともあれ日曜日には朝食抜きで早馬を飛ばし早川町のヘルシー三里に駆けつけるべしっべしっ!! 
さすればボキボキの伝統田舎ソバからシャッキリ細打ちの江戸前風ソバまで、あれもこれもと存分に堪能できるで有馬温泉西山温泉。
 もちろん赤沢ソバ組合の“名物お姉さん方”も出展してます。が、PM2:00頃には品切れになるかもしれません。食べ損ねたとかひとつ口直しにと言う方は帰途「赤沢宿そば処・武蔵屋」に立寄ってください。ん〜まい蕎麦が待ってます。

posted by ヒコベエ at 00:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 美味しいそば処「武蔵屋」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月17日

秋の味覚(2)

アケビ.JPG
 
「アケビ撮るならウチにいっぺえ成ってるよ」というので久しぶりにナオさんちを訪ねたところ、庭一面にアケビがぶらさがっているのにビックリ。しかもひとつひとつがデカイ、バナナの房みたいに成ってるのもある。かなり丹精して育ててるのを見ると相当な園芸家ではないか!
ナオさんの風貌からはとても想像できんよなぁ。アケビ蔓の根元に毎朝ションベンかけてたぐらいではこんな立派に育つ訳もないし、花までもが一緒に咲いてる、ウームおかしい?

いえいえ、花も実もある「森の達人・ナオさん」ならではの立派なアケビです。
 この時期、山のアケビが沢山取れますが赤沢山周辺で山ヒルが発生してますので入らないでください。

早川町内ではアケビを煮たり焼いたりして食べることは無いなので、ひとつアケビの調理法(庄内風)なるものを紹介しませう。

 中のねっとり甘い種とひき肉+玉ねぎ・人参の微塵切り+パン粉+下味付(つまりハンバーグの種)を混ぜ込んだモノをアケビの皮に詰め込み、タコ糸でぐるぐる巻いて口をふさぎます。これを油を薄くひいたフライパンで炒めてから、味噌or醤油+酒+砂糖などで甘辛く煮含めます。皮のほろ苦さと甘辛さが相まって美味しい・・・・・・はず、たぶん。
posted by ヒコベエ at 00:20| Comment(1) | TrackBack(0) | 野生動植物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月15日

お香の実

お香の実-1.JPG

今お寺を直してましてね、境内の側に木立に包まれた旧墓地があるんですが、そっちの方で小鳥のさえずりが賑やかなんです。ありゃなんじゃろ?と仕事中のナオさんに聞いたら「あれっ知らんけ?お香の実を食べにヤマガラがいっぺ来てる」「お香の実知らね?じゃとってきて見せてやるかぁ」ってんで上記の写真です。
 さすがに山のことなら何でも良く知ってるナオさんである。
お香の実.JPG
ヤマガラの大好物という「お香の実」なる珍妙な形をした木の実の正式名称がわからないけれどとても良い香りがします。
昔の人たちは沈丁花などの香木を墓地に植えたと、他所の土地で聞いたことを思い出して、なるほどなあと感じ入る良い発見でした。
 ヤマガラはこのツルンとして硬い種を好んで食べるんだそうです。
お香の実でお手玉を作ると良い音がしたもんだと言います。実が熟すとホウセンカのように中の種がはじけ飛んでしまうので、種を取るには青い果皮のままネットに入れて天日干したそうです。
 
そうそう皆さんヤマガラって知ってます?昔神社の祭礼なんかで「小鳥におみくじを引かせる芸」がありましたが、あの小鳥がヤマガラでした。ヤマガラに芸を仕込んだ見世物というのは平安時代頃からあったそうで、しかも日本だけだそうです。
ヤマガラ-2.JPG

つくづく日本人って変なの。
しかもナオさんとかクニオさんとかカネオさんとか森の達人がいっぺえ居って、知れば知るほど赤沢の不思議発見なーのだ。

10/17「お香の実」調べました。
トウシキミ(八角)と似ていて写真から見分け難いのですが、葉の形状や実の付き方、墓地に植えてあったことなどから「紼(シキミ)」で間違いないと思います。

<以下はwikipediaより抜粋>
シキミの語源は、実の形から「敷き実」、あるいは有毒なので「悪しき実」からといわれる。
古代にはサカキと同様に神事に用いられたといわれるが、その後仏事に用いるようになった。そのため、神式の榊(=サカキ)に対応させる形で梻(木偏に佛、「佛」は仏の旧字体)という国字もある。
日蓮正宗などではシキミの枝葉を仏前に供える。また芳香があるため線香や抹香の材料に用いられた。一説によれば、毒性のあるこの植物を墓に供えることで、オオカミなどが墓を荒らすのを防いだのではないかという。
[編集] 毒性
植物体全体にアニサチンなどの有毒物質を含み、特に果実に多く、食べれば死亡する可能性がある程度に有毒である。実際、下記のように事故が多いため、シキミの果実は植物としては唯一、劇物(毒物及び劇物取締法を参照)に指定されている。

posted by ヒコベエ at 01:52| Comment(3) | TrackBack(1) | 野生動植物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月14日

赤沢の秋を食べる 

お久しゅうござります。8月初に記事をUPして以来2ヶ月以上も経ってしまいました。あんなに暑い暑いと騒いでいたのがつい昨日のようで。今はもう周りのすべてが秋ですわ、この分だとあさって辺りから冬が来るずらぁ・・・・ああやだやだ年は取りたくねえもんだ グシュッ・・・・・・・と鼻水をこすりあげつつ空を見上げれば柿の実が鮮やかに色付いてるではねえか!そうだっこんだらトショーリぶりっこしてる場合じゃない、クニオさんちの山さ栗拾いに行かねば。それにカネオさんから山きのこ情報を聞き出さねば。やれ急げや急げ!!!
山きのこごはん.JPG
というわけで間に合いました、秋の味覚「山きのこの炊き込みご飯」。コレわ・た・し・が炊いたんですからもちろん美味しいに決まってますがな。しかもサワラの「オヒツ」ですから正しい日本の味。このオヒツ、先日とある元旅籠のえ○す屋さんからいただいたんです。前々からサワラのオヒツが欲しかったもんですから、いやぁ嬉しくて嬉しくて。山きのことオヒツ初物同士のコラボレーションてな按配で むふふふふふふのふ。
飯櫃DSCN3827.JPG  オオイチョウダケDSCN3656.JPG

あんましおせーたくないんだけどね、山きのこは危ないから。
「オオイチョウダケ」と言うのだそうです。

そば処「武蔵屋」で出せるかなあ? 
0556-45-3117
(土)(日)にお問い合わせください 
posted by ヒコベエ at 19:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 食べ物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月01日

赤沢モノクローム チャカポコチャカポコ

2006年8月1日に遭遇した不思議な出来事について、ちょっと話を。
普段なら熟睡中であるはずのam4:25、どうした訳かこの日に限って薄ボンヤリとお目覚め。
未だ外は暗く夜明け前の赤沢集落は深い森の中で薄墨色に沈み、人々が起き出す直前の静寂に包まれた時間だった。
そのときである。どこかでヒグラシ蝉がカナカナカナと鳴き始めたと思う間もなくあちこちから湧き上がるように鳴き響き、カナカナの大合唱は波のように拡がり、うねりながら森全体が鳴動し始めた。
ウワッすごい、ナニが始まったんだ?と思わず跳ね起きたのだった。
このカナカナ大合唱は約10分間続き、AM4:35にピタリと止み、気が付けば元の静寂に戻っていたのである。
しばし呆然としている間にやがて鳥のさえずりが聞こえ始めて、外は白々と夜が明けたのだった。アレは空耳だったのだろうか?

しかし空を覆うようなカナカナ大合唱ウェーブはどっかで聴いたような気がするナー・・・・・・・・・・・・・・・。佐渡の鼓童だ、
締太鼓7台・14本のバチが繰り出す音の洪水「モノクローム」の演奏。そっくりというか正にそのものじゃないか!  
しかも夜明け前の薄墨色の闇は、曲名「モノクローム」であるに違いない。こりゃもう間違いないことに決めたっ。

1976(昭和51年)作曲したのは現代音楽の巨匠・故石井真木である。
彼はある時ある場所でこの時間にカナカナ大合唱に遭遇した。思わず寝床から跳ね起きたにに違いない。・・・・・・・ここまではオラと一緒である。
違うのはここから先、彼は急いでペンを取りカナカナ合唱を採譜した。オラはアレは空耳だったかな〜と呆然としてる。これが巨匠と平平凡人との分岐点と言える。
それだってオラは心臓がドキドキするほど大満足なのだ。音楽とは無縁なモンが「モノクローム」と「石井真木」をこの時に大発見しちゃったのだから。

 鼓童もなーよ鬼太鼓座時代から幾十年、オオイさん、ヨシカズさん、モッちゃん、きっとみーんな知らねで太鼓打っとーどに。こんだぁおせーてやらざーよう。(ムフフのフである)

ところで2007年はどうだったか?というと、7月26〜31日の間、残念ながら赤沢モノクロームには出会えませんでした。・・・・・・・・・・・・・・・・・8月1日は?
posted by ヒコベエ at 00:59| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月22日

4基目の牧水歌碑と「海峡」の歌会

昨年12月の牧水歌碑建立に引き続いて、この6月に1基が追加建立と相成りました、場所は江戸屋旅館下です。この除幕式に合わせて「海峡」歌会が江戸屋の広間で開かれました。
qS.JPG
「朴の木と先におもひし近づきて霧走るなかに見る橡(とち)若葉」
※橡は栃ではなく(つるばみ=クヌギ)のこと。
qS.JPG C-1Rs[.JPG C-2Rs[.JPG

これで赤沢地区内には都合4基の牧水歌碑が立ったわけですが、これがご縁で「海峡」の歌詠みの人々との交流が生まれました。青年同志会、世話人トシアキさんや石屋のしんちゃんはさらに夢をふくらませているようです。
海峡の人たちも「沢山の歌碑を建ててクレヨンしんちゃん!」
って言ったとか言わないとか・・・・・・・・・・・・・・・

さあて オラも負けずに一首詠ん・・・・・・・・・・・・・・・・あっもうこんな時間かぁ 寝るべっ。
posted by ヒコベエ at 02:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 赤沢伝説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月10日

怪しくもオシャレな住宅

k邸.jpg k邸玄関-2.JPG k邸欄間-2.JPG

 一見して遊郭あるいは料亭建築かと想像しつつ、過剰な装飾がずっと気になっていたこの建物。それが旧知のK先生宅だったことにビックリ。しかも実は純粋な勤め人の住宅建築だと聞いて二度ビックリ。さらには昭和5年の完成で地元の大工の手によると聞かされて、えっ?って思わずすわりしょんべんを漏らすところであった。
 出桁造りの総二階建は養蚕農家を思わせるが、早川町内の伝統的民家とはかなり違っていたのである。

 近頃はやりの下卑たルー語で言うなら「カントリーマインドがリトルっていうかさあ、ナッシングじゃんけぇ!」なのだ。
玄関脇に梅鉢型のガラス窓はスリガラスとクリヤガラスでチョイワル風にも見えるデザイン。一階雨戸上部ガラス欄間には吹寄せ組子に化粧駒板嵌め込み。そして二階手すり腰板の流水?文様や小壁の灰漆喰仕上げ。戸袋の立涌文様ササラコなど4ヶ所の戸袋はそれぞれに異なる意匠を凝らしているのであるから、遊ぶにも度が過ぎている。となれば江戸の粋筋の建築意匠を持ち込んだ数奇屋造り料亭旅館と考えても無理もない。 同じ町内の赤沢宿の伝統的旅館建築でさえ、講中宿ということを差し引いてもこの住宅建築に比べたらはるかに質朴なのだ。

よりによってなぜ此処に?このようなミステリアスな建物が在るのだろう???  実に怪しい。

ヒントは思いがけない処にあった。早川町応援団獲得マガジン「やまだらけ」2006年夏号18号−新倉銀座物語−が昭和20〜40年代の最盛期を特集していたのである。現在100世帯に満たない新倉集落が、かつては映画館、パチンコ店、旅館4件、居酒屋、鰻屋、料理屋、食堂、魚屋、雑貨店、貸本屋、牛舎併設の牛乳販売店までもが軒を並べ、バス駅舎は人出で賑わっていたことを伝えている。新倉銀座の名称はあながちウソでは無かったらしい。早川町内で唯一「町場の賑わい生活経験」のある村であった。

山村が街に変貌するには人と金が大挙して押し寄せる必要がある。
第一波は大正末年に遡る、当時富国強兵の下で重工産業を動かすエネルギー開発の尖兵として東京電力水力発電所建設やパルプ用材などの伐採搬出事業があった。第二波は敗戦後復興期から高度経済成長期を支えた二つの水力発電所建設と膨大な木材の搬出事業である。第一波と第二波、その意味するところは「国の近代化」と「国家のリストラ(再構築)」の違いがあろうが、約50年間にわたり国を支えた水資源と森林資源の供給地・早川町を象徴するのが「新倉銀座通り」だった。
映画館や料亭など往来の賑わいを想像することさえ難しい閑散とした通りの風景の端に、ひっそりと佇むk先生宅があり、その建物が往時の繁栄を雄弁に語り掛けているのだった。この家を建てたk先生の父上もまた東京電力の社員だったという。
posted by ヒコベエ at 01:37| Comment(3) | TrackBack(0) | 近在 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月07日

初夏のソバメニュウ

初夏の赤沢宿は森の中、日がなウグイスとモリアオガエルが鳴いてます。蕎麦屋の前にある防火水槽では、水面から30センチぐらいのところにモリアオガエルの泡卵が3ケばかりぶら下がっているのですが、その真下に金魚が泳いでます。これって孵化した瞬間から金魚の餌となるべく悲しくも厳しい自然の現実が待っているのでありますよ。
しかも「金魚!」夜店で買うようなヤツだから余計悔しいじゃありませんか。此処は是が非でもイワナかヤマメであって欲しいものです。
このままではモリアオガエルの尊厳を冒涜することになりましょう。
!!コレでよいのか赤沢宿!!

 あっと、本題はここからなんです。
此処んとこ赤沢蕎麦を食ってないな〜、初夏の蕎麦メニュウ写真も撮らねばな〜と思いまして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ふつー 腹減らしてる目の前に蕎麦が出てきたら、カメラどころじゃないですよね〜。   
腹も膨れてやっと落ち着いた〜と箸を置いたところで、ハタッと気が付くモンなんですよ、そうでしょう?
ソバもキビ飯もさやえんどうのゴマ和えも皆みな大変美味しゅうございました。

で、撮った写真がコレですわ。          スンマセン
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posted by ヒコベエ at 03:02| Comment(1) | TrackBack(0) | 美味しいそば処「武蔵屋」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月27日

またまた便所

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久しぶりの記事更新ですが、また便所〜?って・・・・・すんません
平成18年、外便所の保存修復の以前以後を並べてみました。
大方の人は「修理する前の方が良かったんじゃない?」って言うだろうな、たぶん。
見る人に、写真を撮ろうとかスケッチしようという心持ちにさせるのは、滅びゆく民家の風景に郷愁の美学を見出すからかもしれない。
まあ、新材の妙なケバイ感じもあと10年も経てば風景に馴染むでしょうから、暫時お待ち下され。

 当便所を解体してみて感じたのは、建築年代を示すものは見つけられなかったけれど、予想以上に古い建物らしいということです。
屋根上部構造は幾度も修理を重ねており、当初材は柱及び下部構造ぐらいしか残っていず。外壁板の栂材はオガ(木挽き鋸)で挽いた厚さ10mmほどの板で、風雨にさらされた外面は灰色に変色し木目もあらわに著しく風化していました。ごく大雑把ですが、硬木材の風喰の量は100年で1mm痩せるといいます。一方、板の裏側は木肌も新しい状態で保存されていました。釘は錆びて効かなくなった洋釘が大量に打ち付けられていた中に和釘が混在して、しかもちゃんと効いていたのです。このことから板壁は遅くとも明治後期の造作、あるいは明治中期頃に遡るものと推定できます。軟い杉板ではこれほど長持ちしません。天然木の地栂ならではと感じ入った次第で、たぶんあと200年ぐらいはもつだろうと思いましたが、諸々の理由から今回の修理では杉板に代えてしまいました(残念!)。・・・・・古板は磨いて保存しています。
posted by ヒコベエ at 20:09| Comment(1) | TrackBack(0) | 便 所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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