2008年04月27日

今しか見られない風景

じゃじゃーん 「お宝写真」一挙公開         2枚きりだけど
身延本山DSCN5128-1.JPG
あにがぁ じゃじゃ〜んでい! とお思いでしょうが  何を隠そうコレが実にじゃじゃ〜んなのだ。
畏れ多くも此処は日蓮宗総本山は久遠寺境内!! しかも眼下に祖師堂だかんね!
こりゃあなんぼなんでもなんだっぺよ〜。 バチ当りがぁと思いつつも二度とは撮れないのをパチリ。
ただ今工事中の五重塔の最上層屋根から見た久遠寺全景だもんねぇ。 

三月中旬、身延町みちしるべの会主催の「今しか見られない久遠寺五重塔・内部見学ツアー」に参加。
130年ぶりに再建なる今度の塔は3代目とかで、元和五(1619)創建の初代五重塔を復元建立で総高38.2mだそうな。
江戸時代初期の形式ではあるが、心柱が礎石の上に立つとか側柱と垂木の架構法など構造手法に古式を継承しているらしいのであるが・・・・・・・・ちょっと見たってわがんね。
なにしろ塔を建ててるのは日本の至宝・創立1400年という世界最古の会社「金剛組」のお出まし。
五重塔DSCN5129-1.JPG屋根は銅板の本瓦葺き(風)。元和建立の初代塔婆の屋根は橡(とち)葺きor柾葺きのような板葺き屋根の中でも高級な仕上げだったろうと言うてます。
 漆も大量に使うだろうけど、露出する木部は桧、欅は弁柄と油脂を混ぜた塗料で赤く塗り込めるそうだ。これから最終仕上げ工事にかかるので一般の見学は今回でお仕舞い。
この五重塔は基壇の内部に最新の免震機構を備えているのだけれど、一方では1400年の伝統が築き上げた多層塔木造免震構法があるのであるから、・・・・・その折り合いってのはどうなんだか?
モノの耐久性はステンレス金属といえども木材の方が遥かに永持ちなんだけどねえ。
まっ100年先には判ることですがね
まずは五重塔をスッポリと覆う仮設鞘小屋が取り払われる本年11月の竣工をお楽しみに待たれよ!

みなさん知ってました? 
五重塔ってお釈迦様の遺骨を納める舎利塔、卒塔婆(ストゥーパ)だってこと。
だからむやみやたらに写真を撮っちゃいけないんですよ。塔に向いて心静かに合掌ですから。



付録
火付盗賊改方長官「鬼平」こと長谷川平蔵 実は谷啓の先祖だった。
 鬼平版ガチョ〜ン
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2008年04月03日

福寿草その後

08福寿草.JPG
福寿草や節分草が終わり、いよいよ桜の季節到来。・・・・と その前に
開花の時だけワーッと殺到して花の写真を撮りスター扱いだったのに季節が終わると見向きもされない。“身勝手な人間たちよけしからんではないか!” この青々と繁る福寿草を是非写真に!!
という多くの山野草たちの声をお伝えせねば。
今蕎麦処「武蔵屋」の周辺は人参畑のごとく福寿草の葉っぱがそこいらじゅうに生い茂っています、花の一つ一つが種子を結実し来年に向けた繁殖期を迎えているところ。・・・・・・・ちょっと地味すぎるかな〜。これが健康野菜だったら良かったのだが。

 めんく(こ)い三姉妹
DSCN5045コピー.JPG 「武蔵屋」の蕎麦はなぜか子供たちが大好きで、腹こわすんじゃないかと心配するぐらいよく食べます。こりゃあ学校給食のメニュウに混ぜてもろーどぉに。

追伸 
鬼平犯科帳シリーズ(その3)
火付盗賊改方長官 「鬼平」こと長谷川平蔵  実はシャイでおばちゃんたちのアイドルだった。
“鬼平 ハンカチ王”
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2008年04月01日

本遠寺さん見学会

鬼平犯科帳シリーズ(その2)
火付盗賊改方長官 「鬼平」こと長谷川平蔵 実は稀代のギャンブル狂であった。 
“鬼平 半か丁”

本遠寺-0.JPG 
 此処は身延町・大野山本遠寺(ほんのんじ)という名刹です。国重要文化財の本堂と鐘楼が5年の歳月をかけた大規模修復工事ももうすぐ完成ということで、仮設床を取り外す直前の3/26「赤沢宿保存会」で研修見学会を行いました。
本遠寺-1.JPG 本遠寺-2.JPG 本遠寺-3.JPG
 こんなに間近に”桧皮葺き”の実際を見る機会なんてもう二度とないよねー。“美しい〜”の一言。
建築のレベルを超えて工芸作品の世界を見ている様です。今は埃を被っているけれど、仮設屋根が外れて、雨に濡れた桧皮葺きの屋根は実に美しいものですよ、と工事事務所の高木所長は言います。梅雨を迎える頃また見に来よう。
 本遠寺は「お萬さま」の菩提寺なんです。日蓮宗以外の方は知らないでしょうけれど、お萬さまと言えば徳川家康の側室であって御三家の水戸・紀州藩祖の母上にして女人禁制だった山岳密教の聖地七面山への登拝信仰の道を開いた女性。早い話が「水戸黄門のおばあちゃん」。
 熱烈な法華信者であったと同時に、当時本山法主であった「日遠上人」に帰依し、幕府の弾圧を受けた日遠のために本遠寺を開いたのだそうです。創建は慶安三年(1650)。本堂と鐘楼だけが創建当時の建物で、棟札記録や高度な建築技術・意匠などから紀州藩の造営によると考えられると言います。
 皆さんも身延のしだれ桜を見にいくなら、是非此処にも立ち寄って見てください。場所はJR身延駅の富士川対岸の平地にあり住宅地の中です。本堂の裏手に瀬戸内産と思われる御影石がふんだんに用いられたお萬さまの立派な墓所があります。背後の山留め石積みも文化財級の立派な造作なので是非お参りして欲しい処です。続きを読む
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2008年03月25日

赤沢集落景観 本の表紙を飾る

農文協の本.JPG
週1回の更新目標がスタートからスッテンコロリンで実に情けない塩梅ですが、気を取り直してまずは準備体操から。鬼平犯科帳シリーズ(その1)
火付盗賊改方長官「鬼平」こと長谷川平蔵  実は甲州の産である。
 鬼平 はやかわちょう

<本題>
赤沢集落の写真が本の表紙を飾りました。いやぁ快挙ですよコレは。
「日本の里山日本の里海文化の息づく里」中川重年監修・農山漁村文化協会発行07/3月刊 176ページ ¥2980-はちと高額です。
 表題の文化の息づく里って謳われちゃうと我等が早川町民としては照れ臭くってしゃーないですが、全国24地域の1に取り上げられた「雨畑硯職の望月さんと赤沢集落」は見開き8ページに渡り、しかも写真は総天然色刷りという豪華版。
いよいよ赤沢宿もメジャーデビューか?  と思わせといて、実のところ赤沢住民一同にはその気配のカケラも無いのだった。
泰然自若っつううのかねぇ。 それでも少しは文化を担うとか町の牽引車たるべく意識の目覚めというか、芽吹いたように思える春うららかな今日この頃であります。
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2008年02月02日

山駕籠

えびす屋山駕籠B-1コピー.JPG

えびす屋山駕籠A-1コピー.JPG
「日本一高い乗り物」パートUです。
二枚とも七面山への登拝記念写真である。背景に鉄骨製の羽衣橋が写っているので、戦後間もない頃の写真らしい。
上段の写真に写っている和服姿の女性は宗教者(俗にいうオガミヤさん)であろうか、着物の着こなしが現代とはよほど違っているのが目につく。裾廻りを広くゆったりとした着付けは着物が日常着だった時代を感じさせてくれる。
 2枚の写真とも山駕籠を二点で担いでいるのにビックリ!!
現代は四点プラス予備1名の五人がかりなのだから。しかも戦後当時の人たちの体躯と比べたら現代人の方がはるかに大きく体力も勝っているはずなのだが・・・・・?  
 この写真を見る限り、牛豚肉海老フリャー食より芋根菜雑穀食の方が勝ってたと思わざるを得ない。ってことは当時国を挙げて取り組んだ食生活改善運動は今いっぺん見直し改善運動が必要なのかも。

               2枚の写真はえびすや旅館所蔵より。
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2008年01月28日

雪景色

DSCN4795-2縮小.JPG
1/23明け方から降り続けた雪が20センチぐらい積もりました。
昨秋は柿の実が豊作で赤い実が鈴なりのまま年を越し、集落風景に彩りを添えてなかなかイイ感じ。その上にこの雪化粧ですから・・・・風雅とはかくあるべし・・・・・な〜んちゆってる場合ぢゃない!!

慌てふためきながら雪降る中を冬タイヤに交換していがったっぺよう。なんせ赤沢は坂道ばかりなもんでねえ。(アッ甲州弁じゃっぺはつかーねな)なにはともあれ良かった。
この日は午後東京新聞の記者と立松和平さんが来るとかでトシアキさんが雪ん中を出迎えに行きました。明日七面山に登るらしい。

雪景色の赤沢縮、たんとご覧くだされ!
そば処武蔵屋のオネエサン方も只今冬眠中ですが2/16(土)から営業始めますよ〜

DSCN4778縮小.JPG DSCN4785縮少.JPG DSCN4786縮小.JPG
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2008年01月17日

集落の風景・百年を経て

100年前と現在の集落.JPG
 大正初年の写真に注目! 電柱電線がありません。なので現代の写真からも電線電柱を消して風景百年の差を比べてみました。

赤沢に電気が通じたのが大正11年です。それ以前のこの写真には江戸時代に遡る赤沢の生活風景を示す貴重な情報が詰まっています。
手前の物置が寸詰まりになって少し移動してるぐらいで背景の家並みの配置や林も現在と変わっていませんね。では百年前の風景とナニが変わったんでしょうか?
笹板屋根
手前の物置と左側主屋の屋根は「笹板葺き=木端葺き」といって栗材を幅10cm長さ36cm厚さ4-5mm程に割り取った板を4段重ねに葺き、表面に見えているのは先端の4分の1だけです。1u当り100枚余の板が必要となるので小さな物置でも数千枚の割板が使われています。
釘のこと
板は一枚づつ釘止めしていますが、洋釘が普及する明治中期以前には和釘(巻頭釘)が使われていました。鉄そのものが貴重だった江戸時代には竹釘などが使われたのではないかと思います。
赤沢民家の多くはトタン屋根を解体すると下から当時のまま笹板屋根が出てきます。和釘と洋釘が混在し、洋釘にも形や鉄の品質の違いがあって、幾度も修理を繰り返した様子が伺えるのです。さすがに竹釘は出てきません。もっとも赤沢民家の屋根が笹板葺きになったのはそう古くはなく、それ以前は草葺(茅や麦藁)だったのです。

草葺きから板葺きへの謎へとつづく

さていかなる展開が待ち受けてるのか・・・・・・・請うご期待
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2008年01月09日

棟札って何?

大下棟札-1.JPG 最近の住宅建設では地鎮祭とか上棟式などの建築儀礼が形式化し省略されてしまったので知ることも出来ませんし、目にする機会がなくなってしまいましたが、棟札(むなふだ)という言葉を聞いたことあるでしょうか?

ビル建築などの場合は玄関脇に磨石製の「定礎」がありますが、これを棟札の末裔と言うのかもしれません。つまり竣工年月日・施主名・施工者名や祈願文を記した銘板のことです。

伝統的な木造建築では杉桧欅などの板に墨書し、寺社の棟札は縦細長の形で墨書面を保護板で覆うとか木箱に収める処置がされていることが多く、古民家の場合は上記のように煤で文字が読めない状態が多いです。
木造建物を新築する場合、軸組小屋組の骨格が組みあがった段階を工事の大きな節目として、上棟式が行なわれます。その際に棟木中央部辺りか棟束側面にこの銘板を釘で固定します。
その後屋根を架け壁や天井を張り建物が完成してしまうと、日常はまったく人の目に触れることなく建物が存続する限り銘板はそこに在り続け、大修理の際にも新たに銘板が追加されることがあり、「棟札」と呼ばれる由縁でしょうか。

大下棟札-2.JPG赤沢の幾軒かの民家に棟札が残っていますので、「大下主屋」棟札を紹介し解説しましょう。
表書き
右側  天保十一庚子年四月吉日
中央 南妙法蓮華経 王舎城守  日慶(花押)
左側 ○・・・・・授与之赤澤村望月與左衛門者也

裏書き
 高祖御詠
志茂波志羅 氷之多流幾
雪之計多 雨之宇津波利
露之不幾久佐
御棟札  宗孝院 出之者也

裏書は祈願文で上棟式の際、大工棟梁が棟上でモニョモニョと唱える言葉であったりします。
「霜柱 氷の垂木 雪の桁 雨のうつはり 露の葺き草」
うつはり=梁のことで、建築の主要部材を水になぞらえ耐火建物であるという祈願歌です。

この棟札は日蓮宗独特の髭題目曼荼羅本尊を兼ねた様式で他所では見られないこの地域独特の特徴があります。
これを書いたのは旦那寺の赤澤妙福寺住職 宗孝院日慶というお坊さんでした。
 村の記録によれば天保9(1838)年12月14日未明(赤沢)下村17戸類焼。とあり、この原因によって2年後の天保11年新築に至ったと想像できます。

参考までに、日本で最古の棟札といわれるのは中尊寺に蔵する1122年のモノで文字不明瞭で、次が1124年の中尊寺金色堂。民家では1584(天正12)年が最も古いらしいです。建物の建築年代を特定する根拠とし、当時の様子を知る貴重な手がかりになるため古民家の調査などでも最重要資料です。


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2008年01月08日

集落の風景

08年スタートはやはり赤沢宿の紹介から始めましょう。
冬の赤沢は森の木々が葉を落とし、およそこのスケッチのような見晴らしの良い広々とした風景が広がっています。
赤沢前景ペン画-a2-2.JPG

 ・・・・・・・・・・・っつうか実のところパンフレット製作時の下絵なんですコレ。暮のお掃除で奥の方から10年ぶりに出てきたもんですからつい手抜きを(あっ書かなきゃダレもわかんないか!)。
平成8年38戸の家と妙福寺.麻利支天社.公民館が描かれており、そのうち営業する旅館が6軒、空家は10軒でした。それから11年を経て、現在旅館は江戸屋1軒だけになってしまいました。空家は2軒増えて12件。それでも集落の風景はあまり変わるところがありません。

 大きな変化は、@空家を改修して開業したそば処「武蔵屋」とA赤沢住民一人残らず皆が11歳年を取ったということでしょうか。

年を取ることは必ずしもマイナスや悪いことでもなくて、その年齢になってみて初めてわかるって事があるんですね、大人になっていくっていうのかな、ボケ方にも技を駆使する醍醐味ってのがあるんじゃないかって思うんです。

 とりあえず自分のことはさておき、良かれと思えばズンズン進み、いまさら直る訳で無し人の振り見て我が振り直さず、余計なお世話の押し売りなお結構。今年も元気で生きましょう。
posted by ヒコベエ at 01:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 町並みと建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月01日

賀正

H20図案ミニ.JPG

「赤沢宿よいしょっと」ヤットコスットコ創業2年目を迎えることができました。コレもひとえに・・・・・・・・ということで、本年は週一回の記事更新を理想に掲げながら、ユルユルと続けていきたいと思います。東は練馬を越えてシカゴから西は佐渡島辺りへと国際的に拡がる愛読者の皆様におかれましては本年も益々のご健勝とご多幸をお祈り申し上げつつ、倍旧のご厚情を賜りたくおん願い上げ奉り候 んであります。
posted by ヒコベエ at 03:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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