2009年01月05日

続続続続・便所

福田屋便所-1.JPG  DSCN0970福田便所-2.JPG

新年おめでとうございます。
本年も皆様方に「赤沢宿よいしょっと」をご愛読いただきますよう担当者ども一同精進を重ね、
途中ほったらかしの休眠状態など無きよう、よってたかってご紹介していく所存であります。
 2009年、あまたのリクエストに答えるべく取り出したる"特集便所記事”
年頭に運が付くという誠にかぐわしい ふさわしい話題を!!

今まで紹介した赤沢の便所はすべて木軸組板壁造りでしたが、唯一の例外としてH家の外便所をご案内します。便所建物の規模・間取りは他家とほぼ同じで、板床の踏込みと大便所二口の「二戸一宇」という形式ですが、向こう側妻壁に浴室を増築してあるのが他家と違う点です。

続きは次回をお楽しみに

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2007年06月27日

またまた便所

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久しぶりの記事更新ですが、また便所〜?って・・・・・すんません
平成18年、外便所の保存修復の以前以後を並べてみました。
大方の人は「修理する前の方が良かったんじゃない?」って言うだろうな、たぶん。
見る人に、写真を撮ろうとかスケッチしようという心持ちにさせるのは、滅びゆく民家の風景に郷愁の美学を見出すからかもしれない。
まあ、新材の妙なケバイ感じもあと10年も経てば風景に馴染むでしょうから、暫時お待ち下され。

 当便所を解体してみて感じたのは、建築年代を示すものは見つけられなかったけれど、予想以上に古い建物らしいということです。
屋根上部構造は幾度も修理を重ねており、当初材は柱及び下部構造ぐらいしか残っていず。外壁板の栂材はオガ(木挽き鋸)で挽いた厚さ10mmほどの板で、風雨にさらされた外面は灰色に変色し木目もあらわに著しく風化していました。ごく大雑把ですが、硬木材の風喰の量は100年で1mm痩せるといいます。一方、板の裏側は木肌も新しい状態で保存されていました。釘は錆びて効かなくなった洋釘が大量に打ち付けられていた中に和釘が混在して、しかもちゃんと効いていたのです。このことから板壁は遅くとも明治後期の造作、あるいは明治中期頃に遡るものと推定できます。軟い杉板ではこれほど長持ちしません。天然木の地栂ならではと感じ入った次第で、たぶんあと200年ぐらいはもつだろうと思いましたが、諸々の理由から今回の修理では杉板に代えてしまいました(残念!)。・・・・・古板は磨いて保存しています。
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2007年03月20日

続続続。便所がおもしろい

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 赤沢民家の外便所は「二戸一宇」と言って、一つ屋根の下に2口の個室という形が一般的です。
戸は踏み込み入口に一枚の板扉が付くだけで、内部は天井も無く小屋裏吹き抜けの一室空間です。
踏み込み部分や外板壁は鍬や鎌など畑作用の農具掛けに使われていて物置を兼ねていました。
傾斜地を等高線沿いに拓いた細長い屋敷では、庭先に物置を建てるスペースが無いための工夫だったと思います。

 なぜ2口の便所なのかについては謎です。
安直に言うと、1口では建物としてのバランス・剛性に欠けるから・・・・・か??。
江戸の長屋の便所を「惣後架(そうこうか)」と言いますが、これに似た造りと考えられますので、あるいは江戸の信者講中が伝えたのかしら?・・・・・・・・
長屋住まいの八つぁん熊さん等職人層が多かったし。

戸口脇の壁際に小便所が設けてあり、大便と小便は便槽(便壺)で一緒になります。
これに台所流し下の(タメンジリ)に溜め置いた排水を混ぜて柔らかくした便液を肥桶に汲み取り畑に運ぶわけです。
この下肥は雑草や枯葉の堆肥に混ぜて発酵させたのが元肥となり、畑土に鋤き込んで使います。

しかしここで疑問が。
江戸時代とまで遡らなくとも昭和30年代頃までの古民家(特に畑作主業の地帯)には、主屋入口脇の軒下に桶を埋けた小便所があったのを知る人は多いのではないでしょうか。このように小便を分別した大きな理由は、即効性の液肥(尿素肥料)として蔬菜類や麦の追肥に使うためでした。
近代にはいると硫安(窒素肥料)に変わりましたが、今は栽培が禁止されている麻は生長が速い植物なので尿素の追肥が欠かせなかったのだそうです。

ところがです、江戸後期の民家を多く残す赤沢集落にあって、大小便を分別利用していた資料あるいは建築の痕跡が出てきません。これが便所にまつわるもう一つの謎です。

ところで、赤沢集落を取り囲む山々の全てが山林に覆われている現在からは想像し難いのですが、終戦直後米軍が撮った空撮写真を見ると、当時はほとんどの面積が焼畑や山畑(切替畑)だったことがわかります。主たる畑とは幾時間もかけて通う急峻な山畑であった、そこに下肥を担ぎ上げたとは考え難いです。
集落近辺にあるほんのわずかな常畑ならば、大小便を分別してまで手間をかける必然性が無かったのかもしれない。
というのが今考えた理由なんですが、
ここまで我慢強く読んでくださったみなさんには、ご意見を400字以内にまとめてコメント提出することを求めます(2単位)。
posted by ヒコベエ at 00:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 便 所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月14日

続続・便所がおもしろい

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六尺四方の壁を石積みと粘土で固めた大きな便槽の上に、かつては切妻屋根を被っていた平入り型の便所ユニットが乗っています、入口は開放になっていて、踏込みから一段高い床の袖壁に各々板ドアが付きます。
現在は屋敷への導入斜路(コンクリート路盤)の下にひっそりと納まって物置に代用されています。というのは、赤沢地区は平成2年に集落下水道が完備されて、以後急速に主屋内型の水洗便所に切り替わったために、従来の汲み取り式の外便所は使われなくなりました。

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これ良いでしょう、元々屋根が付いて無い便所ユニットの例です。主屋に付属する納屋の一隅に設置されていました。人目に触れない場所にあって、腰板の高さも三尺ほど、山々の景色を堪能しつつ開放感に浸りながら用をたすことができますね。     贅沢?です。
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2007年02月03日

続・便所がおもしろい

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見どころそのB
床下と便槽の間に丸竹に8角形の板が付いてますが、コレなんだか判りますか? 写真を見てすぐに判る人は田舎で育った団塊世代より上ということがバレちゃいますね。私はず〜っと下ですがコレを見て“こんな大発明があったのか”とすごく感動しました。昔はみな汲み取り便所でしたから、ポットン便所とも言って大便をするとポチャンと跳ね返りが尻まで届くんですよ。ウヒャーッてなもんで、この恐怖感といったら・・・・・

 この装置は、落ちてきた便を一旦8角形の板の縁で受けると、その重みで丸竹の軸が回転し、間を置いて便だけが便槽に落下します。これによって便の落下速度が落ち跳ね返り高さも低く尻まで届かないんです。しかも板の周りに積もったモノが跳ね返りを防ぐという効果も期待できます。
 生活のちょっとした工夫なんですが、有るのと無いのでは天と地ほどの違いが生じるものなんですねえ。

 これと同様に、小便器に新しい杉葉を入れておくことがあります。
汚臭を消し「急ぐとも 心静かに手を添えて 外に漏らすな朝顔の露」の芳香と跳ねを防ぐ効果もありそうです。
 小さな工夫やちょっとした心使いが日常生活に潤いをもたらしていました。現代の水洗便所に備えた色付き洗浄剤や芳香剤がその末裔かも知れませんが、似て否なるモノにすぎないのでは?
絵付のある有田焼便器なんかみると、今より高い美意識と文化性を感じます。
 清潔で衛生的な設備を手に入れた代わりに失った大きなモノが有りますね。
posted by ヒコベエ at 02:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 便 所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月27日

便所がおもしろい

 赤沢の便所が面白いんだけど、紹介するには正月早々ふさわしくないかなぁ?と友人に話したところ、「いいんじゃない!年の初めにウンが付くのは」の一言に、便秘から開放されたような爽快な気分でスタートします、赤沢便所にまつわるウンチクの数々。

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大阪屋旅館の奥に「赤沢資料館」と共に当便所が公開されています・・・・ので、大っぴらに便所を覗き見できます。  が、しかし、当便所は水洗便所に改造した公衆便所でもありますので、誰かしら使用中でないことをご確認の上でお願いします。
 
見どころその@ 便所の右側にナマコ壁の土蔵(文庫蔵)が建ってますが、これが明治10(1877)年の建築です。そして、蔵に接する便所の屋根の軒先が左側に比べ短いのがお解かりでしょうか?コレは便所が建っている処に後から土蔵が割り込んできたことを教えています。 
 えっ?こんな小さな小屋なら簡単に移動できるだろう、 ですって?
ところがギッチョン、便所は便槽が命なので、わずかな距離が動かせないんですよ。ということで、便所とはいえ江戸時代からこの場所に居座っているというたいへん貴重なモノなのです。

そのA 便槽の構造ですね。直径五尺・深さ五尺の桶が埋けてあり、クレには厚さ一寸五分の腐りにくい栗板が使われています。底板は無く粘土で固められていました。解体復元工事の際には江戸期以来の伝統的な糞便と共に桶部品の全てを掘り出し、清掃修繕して元の形に納めた訳ですが、工事関係者の皆さんには大変ご苦労をかけました。おかげで誰もが触って見れて学べて、しかも使える便所が出来たのです。

そのB つづく
posted by ヒコベエ at 00:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 便 所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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