2007年03月12日

年輪239本の栂(ツガ)柱

久しぶりに建築の話です。
栂柱.jpg

「市下」主屋の解体修理に際し、座敷廻りに使われていた建築当初材と思われる柱の断面写真は、1/3ほど欠損してますが太さは145mm角(4寸8分)、石場建てを布石基礎土台敷きに改修した折に底部を根継補修した時の端材です。
 この部材からどんなことが読み取れるでしょうか。
樹種は常緑針葉樹の栂(ツガ)、芯持ち材で過去に羽蟻か蜂などの虫害を受けています。ルーペを覗きながら年輪を数えたところ、なんと13センチの間に239本ありました。栂は成長が遅いといわれていますが、250〜260年を経てわずか5寸柱1本分しか生育できなかった自然条件とはいったいどんな環境だったのだろう?
民家の古材は木肌が黒ずんで樹種の判別が難しいのですが木口断面を見るとわかり易いのです。栂の木肌は赤松と見間違えるほど良く似ていますが、冬目はより黒く春目が淡桃褐色なのでコントラストのはっきりした木肌に特徴があります。

 そりゃそうと「栂の立木って見たこと無いな〜」という訳で、恥ずかしながら早川町森林組合の長谷川さんに教えを請いに伺いました。で、コレが樹皮の写真、赤松に良く似てます。葉っぱは樅より短く、槇にも似ているような?
tuga-1.JPG  tuga-2.JPG
長谷川氏は「昭和30年代までは早川渓谷の県有林から相当量の大木を伐り出したが今は出ないねえ、標高千〜二千メートル辺には伐り出せないで残った大栂林がある」と言います。
 国産栂材は硬質で粘りがあり建築用材に適しているが、若齢期の栂は木目が螺旋状に育つために捻れや割れが生じ易いクセがあるので、小屋梁など目に触れない箇所の構造材としての用途が主です。しかも生育が遅いこともあり人工造林もされません。その一方で柱や敷居、鴨居、長押、縁甲板などの内法造作材に用いられる栂材というものがあります。木理が通直緻密で尚且つ12尺を超える柾目長尺材は、直径1メートルを超えるような数百年を経た天然木でなければ得られないのだそうです。 

今ではツガと言えば北米産のツガのことで、住宅の用材として安く大量に使われています。しかし、国産の栂は造林されてませんので天然木ですが、全く別物で銘木の扱いです。関東以北ではあまり馴染がなく知られていませんが、関西以西では「トガ(ツガ)普請」は数奇屋造りなど高級普請の代名詞として知られています。 先日伊豆の伊東・熱海で見学した昭和初期の別荘建築は、いずれもトガ普請の数奇屋建築でした。
 現在では、このような栂材は見ることさえできなくなっていますが、戦前には天城山奥や大井川上流の川根辺りから盛んに伐り出されて東京木場に集められたといいます。南アルプスの尾根の反対側・早川、雨畑、春木渓谷からも栂、テンカラ(天然カラマツ)、トウヒ、桧などの銘木を産出していたのです。

赤沢集落の直下を流れる春木川の源流域一帯は赤沢の持ち山ですが、最奥部に県有林があり、此処は江戸時代に幕府の直轄林「御林」でした。 宝暦11(1761)年「甲州巨摩郡赤沢村御林請改帳」によれば、赤沢山之内棚上山、御林壱所 南北参拾町、東西弐拾町 此反別知れず。桧木千本、杉五十本、樅千本、栂八百本、槻三十本、但し長三間位より五六間位まで目通り三四尺廻りより五六尺廻りまで。その他曲がり木筋木として桜、水楢、ブナ、小木が上げられ、都合六千五百本の木数が記されています。 他年代の村明細帳でも同じ木数を書いているので、これらの数字は正確ではないにせよ、桧、樅、栂が全体の4割を占めるほど大量に自生していたことがわかります。市下主屋の使われていた栂柱は春木渓谷の奥山高地の原生林から産出したものだろうと想像できます。
posted by ヒコベエ at 11:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 町並みと建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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