2008年01月28日

雪景色

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1/23明け方から降り続けた雪が20センチぐらい積もりました。
昨秋は柿の実が豊作で赤い実が鈴なりのまま年を越し、集落風景に彩りを添えてなかなかイイ感じ。その上にこの雪化粧ですから・・・・風雅とはかくあるべし・・・・・な〜んちゆってる場合ぢゃない!!

慌てふためきながら雪降る中を冬タイヤに交換していがったっぺよう。なんせ赤沢は坂道ばかりなもんでねえ。(アッ甲州弁じゃっぺはつかーねな)なにはともあれ良かった。
この日は午後東京新聞の記者と立松和平さんが来るとかでトシアキさんが雪ん中を出迎えに行きました。明日七面山に登るらしい。

雪景色の赤沢縮、たんとご覧くだされ!
そば処武蔵屋のオネエサン方も只今冬眠中ですが2/16(土)から営業始めますよ〜

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2008年01月17日

集落の風景・百年を経て

100年前と現在の集落.JPG
 大正初年の写真に注目! 電柱電線がありません。なので現代の写真からも電線電柱を消して風景百年の差を比べてみました。

赤沢に電気が通じたのが大正11年です。それ以前のこの写真には江戸時代に遡る赤沢の生活風景を示す貴重な情報が詰まっています。
手前の物置が寸詰まりになって少し移動してるぐらいで背景の家並みの配置や林も現在と変わっていませんね。では百年前の風景とナニが変わったんでしょうか?
笹板屋根
手前の物置と左側主屋の屋根は「笹板葺き=木端葺き」といって栗材を幅10cm長さ36cm厚さ4-5mm程に割り取った板を4段重ねに葺き、表面に見えているのは先端の4分の1だけです。1u当り100枚余の板が必要となるので小さな物置でも数千枚の割板が使われています。
釘のこと
板は一枚づつ釘止めしていますが、洋釘が普及する明治中期以前には和釘(巻頭釘)が使われていました。鉄そのものが貴重だった江戸時代には竹釘などが使われたのではないかと思います。
赤沢民家の多くはトタン屋根を解体すると下から当時のまま笹板屋根が出てきます。和釘と洋釘が混在し、洋釘にも形や鉄の品質の違いがあって、幾度も修理を繰り返した様子が伺えるのです。さすがに竹釘は出てきません。もっとも赤沢民家の屋根が笹板葺きになったのはそう古くはなく、それ以前は草葺(茅や麦藁)だったのです。

草葺きから板葺きへの謎へとつづく

さていかなる展開が待ち受けてるのか・・・・・・・請うご期待
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2008年01月09日

棟札って何?

大下棟札-1.JPG 最近の住宅建設では地鎮祭とか上棟式などの建築儀礼が形式化し省略されてしまったので知ることも出来ませんし、目にする機会がなくなってしまいましたが、棟札(むなふだ)という言葉を聞いたことあるでしょうか?

ビル建築などの場合は玄関脇に磨石製の「定礎」がありますが、これを棟札の末裔と言うのかもしれません。つまり竣工年月日・施主名・施工者名や祈願文を記した銘板のことです。

伝統的な木造建築では杉桧欅などの板に墨書し、寺社の棟札は縦細長の形で墨書面を保護板で覆うとか木箱に収める処置がされていることが多く、古民家の場合は上記のように煤で文字が読めない状態が多いです。
木造建物を新築する場合、軸組小屋組の骨格が組みあがった段階を工事の大きな節目として、上棟式が行なわれます。その際に棟木中央部辺りか棟束側面にこの銘板を釘で固定します。
その後屋根を架け壁や天井を張り建物が完成してしまうと、日常はまったく人の目に触れることなく建物が存続する限り銘板はそこに在り続け、大修理の際にも新たに銘板が追加されることがあり、「棟札」と呼ばれる由縁でしょうか。

大下棟札-2.JPG赤沢の幾軒かの民家に棟札が残っていますので、「大下主屋」棟札を紹介し解説しましょう。
表書き
右側  天保十一庚子年四月吉日
中央 南妙法蓮華経 王舎城守  日慶(花押)
左側 ○・・・・・授与之赤澤村望月與左衛門者也

裏書き
 高祖御詠
志茂波志羅 氷之多流幾
雪之計多 雨之宇津波利
露之不幾久佐
御棟札  宗孝院 出之者也

裏書は祈願文で上棟式の際、大工棟梁が棟上でモニョモニョと唱える言葉であったりします。
「霜柱 氷の垂木 雪の桁 雨のうつはり 露の葺き草」
うつはり=梁のことで、建築の主要部材を水になぞらえ耐火建物であるという祈願歌です。

この棟札は日蓮宗独特の髭題目曼荼羅本尊を兼ねた様式で他所では見られないこの地域独特の特徴があります。
これを書いたのは旦那寺の赤澤妙福寺住職 宗孝院日慶というお坊さんでした。
 村の記録によれば天保9(1838)年12月14日未明(赤沢)下村17戸類焼。とあり、この原因によって2年後の天保11年新築に至ったと想像できます。

参考までに、日本で最古の棟札といわれるのは中尊寺に蔵する1122年のモノで文字不明瞭で、次が1124年の中尊寺金色堂。民家では1584(天正12)年が最も古いらしいです。建物の建築年代を特定する根拠とし、当時の様子を知る貴重な手がかりになるため古民家の調査などでも最重要資料です。


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2008年01月08日

集落の風景

08年スタートはやはり赤沢宿の紹介から始めましょう。
冬の赤沢は森の木々が葉を落とし、およそこのスケッチのような見晴らしの良い広々とした風景が広がっています。
赤沢前景ペン画-a2-2.JPG

 ・・・・・・・・・・・っつうか実のところパンフレット製作時の下絵なんですコレ。暮のお掃除で奥の方から10年ぶりに出てきたもんですからつい手抜きを(あっ書かなきゃダレもわかんないか!)。
平成8年38戸の家と妙福寺.麻利支天社.公民館が描かれており、そのうち営業する旅館が6軒、空家は10軒でした。それから11年を経て、現在旅館は江戸屋1軒だけになってしまいました。空家は2軒増えて12件。それでも集落の風景はあまり変わるところがありません。

 大きな変化は、@空家を改修して開業したそば処「武蔵屋」とA赤沢住民一人残らず皆が11歳年を取ったということでしょうか。

年を取ることは必ずしもマイナスや悪いことでもなくて、その年齢になってみて初めてわかるって事があるんですね、大人になっていくっていうのかな、ボケ方にも技を駆使する醍醐味ってのがあるんじゃないかって思うんです。

 とりあえず自分のことはさておき、良かれと思えばズンズン進み、いまさら直る訳で無し人の振り見て我が振り直さず、余計なお世話の押し売りなお結構。今年も元気で生きましょう。
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2008年01月01日

賀正

H20図案ミニ.JPG

「赤沢宿よいしょっと」ヤットコスットコ創業2年目を迎えることができました。コレもひとえに・・・・・・・・ということで、本年は週一回の記事更新を理想に掲げながら、ユルユルと続けていきたいと思います。東は練馬を越えてシカゴから西は佐渡島辺りへと国際的に拡がる愛読者の皆様におかれましては本年も益々のご健勝とご多幸をお祈り申し上げつつ、倍旧のご厚情を賜りたくおん願い上げ奉り候 んであります。
posted by ヒコベエ at 03:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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